「もう! めぐみったら、勝手に試合決めちゃってえ……。
なのにセコンドにもついてくれないなんてヒドいよねっ。
次のめぐみの試合も、セコンドはやってあげないんだから!」
WRERAの 5月シリーズ最終戦、セミ前。 *1a
南利美の持つ EWA認定世界王座に挑む結城千種は、目の前の試合のことよりも、その試合を強引に決めてしまった武藤めぐみの所業にブツブツと文句をつけながら、しゃちほこドームの長い花道をリングへと向かっていた。 *2a
「……どうやら緊張はしてないみたいね、千種」
その様子を控室のモニタ越しに見ていためぐみは、リングシューズの紐を結びながら呟いた。
自分に文句を言っていると知れば違う感想を持つかもしれないが、モニタを通してそこまでは見抜けない。
「千種の初タイトルか……できれば一緒に喜んであげたいけど、こっちも試合の準備があるし。
他のこと気にしてタイトル守れるほど、カオスは甘い相手じゃないもんね」
「あーら。 南ちゃんだって、そんなに甘い相手じゃないわよぉ?」
独り言にツッコミを入れてきた、背後からの声。
めぐみはそれに反応を示すことなくシューズの紐を引っ張り、そのまま結び終えてから、ようやくドアの方に顔を向けた。
「祐希子さんは直接見ないんですか? 千種の試合」
「見に行くわよん。 ただその前に、あんたの陣中見舞いでもと思ってね」
「余裕あるんですね。
メインイベントでも、ノンタイトルだと気楽ですか?」
「あはは、そう見える? あいにく、お気楽気分だと大怪我させられそうな相手だけどね」
メインイベントは、ノンタイトルながらも団体四強が揃う、市ヶ谷&千里組 VS 祐希子&来島組のタッグマッチ。
その前のセミファイナルは、めぐみがスーパーカオスを挑戦者に迎えての NJWP王座戦だ。
どちらの相手も、一筋縄ではいかない。
その想いが共感を生んだか、二人は顔を見合わせると軽い微笑みを交わし合った。
「で、話を戻しちゃうけどさ。 南ちゃんは手強いわよ。
それこそ一筋縄でいく相手じゃない。
千種も強くなってるけど相性が良くなさそうだし、まだちょっと荷が重いんじゃないかな」
「南さんは……カオスとなら、どっちが手強いですか?」
「え? ……うーん、それはまあ、カオスの方が強いかなぁ」
「なら、大丈夫ですよ。 私は、千種ならカオスの WWCA王座だって獲れると思ってますから」
しれっとしためぐみのセリフに、さしもの祐希子も一瞬言葉を忘れた。
そのカオスが自分にとって甘い相手ではないと言ったのは、他ならぬめぐみではなかったか?
「まあねぇ、後輩で親友のことを信じるのは、悪いことじゃないけどさ」
「……最近の千種のあだ名。 何て呼ばれるようになったか、祐希子さん、知ってます?」
「う゛っ? し、知ってるんだけど……何か難しい言葉だったから、その……あはははっ」
「『天衣無縫』。
──自然体で純真で、そして完全無欠、って意味ですよ。
私、それを聞いて思ったんです。
ああ、ようやく他の人たちも気付いてきたんだなあ……って」
めぐみは立ち上がると、シューズの履き心地を確かめるように軽くステップを踏み、それからモニタに目を戻した。
「私なんかじゃない。 あの子の方が……千種こそが、本当の『天才』だ、ってことに」
呟いためぐみの視線の先、リング上では、試合前の説明が始まろうとしていた。
目を閉じて軽く腕を組んだ南の前で、所在無さげにそわそわと身体を揺らしている千種の姿は、自然体で純真ではあっても、決して完全無欠に見えるものではなかった。
そんな千種を見ためぐみと、その背後の祐希子が共に苦笑する。
「あんたと千種の……ううん、誰の才能がどうかなんて、どーでもいいけどさ。
千種のあの態度とか見てると、知らず知らず、強さを過小評価しちゃうとこはあるかもね。
普段からあの子と接してるあたしたちは尚更だけど……めぐみはそう思ってなかったってこと?」
「怖かったんですよ」
「へっ?」
「私は……ずっと怖かったんです。 千種のことが」
「……それはあれかな? まんじゅうが怖いとか、そういう話?」
「違いますって」
目をぱちくりとさせる祐希子と対照的に、めぐみは苦笑を深めた。
「私の後ろを千種がついてくる。 私はその手を引っ張ってあげる。
それは……私にとって、いつの間にか当たり前のことになってたんですよ」
めぐみは、そこで少しだけ逡巡し──意を決したかのように息を吐いた。 話を続ける。
「だから、あの子の凄い才能に気づいた時は、驚いて、妬んで──怖くなっちゃった。
当たり前に思ってた立場が、逆転しちゃうこと……それが、怖かったんです」
勝手、ですよね。
そう付け加えためぐみは、いつの間にかうつむいていた顔をもう一度上げた。
モニタの中ではちょうどレフェリーの話が終わり、握手を求めた千種が、すげなく南に無視されたところだった。 困ったような千種の笑顔が大映しになる。
「なのに……です。 なのにですよ?
あの子ったら人の気も知らないで、相変わらずドジったり慌てたり、屈託なくっていうよりおバカなくらいの笑い顔見せたりして! しかも、その顔で『めぐみは私の憧れなんだから~』なんて、いけしゃあしゃあと言ってくれちゃうんですよっ?
思いつめて怖がったり悩んだり妬んだりしてるこっちが、馬鹿みたいじゃないですかっ。
あーもう! 思い出したら腹立ってきちゃいましたっ。 千種の奴ぅ!」
「ちょ、ちょっと、あの? おーい、めぐみちゃんっ?」
「……失礼しました」
興奮して荒げていた息を深呼吸一つで落ち着かせると、めぐみは長い髪をかきあげた。
耳まで赤い。
「まあ、そんな感じで、最近はもうどうでもよくなっちゃって。
追いつけるもんならさっさと追いついて来なさい、ていうか、さっさとベルトの一つくらい取っちゃいなさい、ってそんな感じなんですよね。
ホント、あの子が一番、自分の才能と実力わかってないんだからっ」
「はぁ」
「……ところで、何の話してましたっけ」
「……えーとね、何だっけ」
祐希子が右の人差し指を頬に当てた時、ゴングの音が聞こえてきた。
二人がモニタを見上げると、威勢良く飛び出した千種がいきなり南のスリーパーに絡めとられて、ジタバタともがく姿が目に入る。 *3a
「おっとぉ、始まっちゃった。 それじゃ、あたしは見に行くわね。
すっかりお邪魔しちゃって何だけど、めぐみはカオス戦に集中しなさいな」
「ええ。 私の分も、千種の応援よろしくお願いします」
ほーい、と軽く返してドアに手をかけ、身体半分を滑り込ませたところで、祐希子はめぐみを残した室内にもう一度振り返った。
「ねえ、めぐみ。 もう一個だけ質問。
もしさ、千種が本当にあんたを負かすほど強くなったら……あんたはその時、どうするかな?」
「千種なら、笑って祝福してあげられますよ」
「わかった。 ありがとね」
その言葉を言い終えると同時に、祐希子はドアを閉めた。
「──っと、祐希子? こんなとこにいたのかよ」
めぐみの控室から五歩だけ歩いたところで、祐希子は立ち止まった。
彼女を探していたらしい声の主が、前方から小走りに駆けてくる。
「あ、恵理だ」
「あ、恵理だ、じゃないだろっ。 千種の試合もう始まってるぜ。
ったく、一緒に見ようって言った自分が消えやがって。 なにやってたんだ?」
「んー、ちょっとね。 ──あのさ、恵理」
「? なんだよ」
「あたしはさぁ、恵理にもうちょっと感謝すべきなのかもね」
「はぁっ? なんだそりゃ?
……お前、なんか悪いモンでも食ったのか?」
「べーつにっ。 さ、行こ行こ、恵理! あたし、二人分応援しなきゃいけないしね!」
「二人分だぁっ? 何のこったか。
ホント、よくわからねー奴だよ。 お前は……」
王者・南利美のペースで始まった EWA認定世界王座戦は、ヘソで投げるバックドロップを皮切りに、怒涛の攻め切りを見せた挑戦者が逆転。
最後はローリングクレイドルでカウント3を奪った。
結城千種は、親友の武藤めぐみや先輩のマイティ祐希子と同様、シングル王座初挑戦でベルトを巻くという快挙を成し遂げたのである。
先人たるめぐみと祐希子も、セミとメインの試合でそれぞれ勝利。
特にめぐみは、スーパーカオスを相手に NJWPヘビー級王座六度目の防衛を果たした。
その試合では、世界王者になったばかりの結城千種が、少しむくれながらも武藤めぐみのセコンドを務めていたが──これはあえて取り上げるほどの話ではないと思われる。
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