「──市ヶ谷の奴が失踪したぁ!? ホントなの、恵理っ!?」
11月に入ってすぐのこと。 *1c
いつもより早く WRERAのジムに顔を出した祐希子は、先に練習を始めていた親友の来島から『市ヶ谷失踪』のニュースを聞かされて、さすがに目を白黒させる羽目に陥った。 *2c
「ホントもホント。 今は霧子さんが、大慌てで埼玉の豪邸やら心当たりやらに電話してるぜ。
発表済みの興行のカードも全部見直しだってんで、事務所中が大騒ぎだ」
「あのバカ、なにやってんだか……AACのベルト奪られて、そこまでショック受けるなんてねぇ」
「──ってことは、私のせいか。 そいつは悪いことしたね」
「いいのいいの。 ほっときゃいいって。 あの唯我独尊高飛車女には、ちょうどいい薬よ」
「…………」
「恵理? どうしたのよ、固まっちゃって」
「どうしたのって、お前わかってんのか!? そいつ、そいつ!」
「そいつって、失礼じゃない。 龍子でしょ、龍子。
……あれ? そーいえば、なんであんたがここにいんの?」
ようやく自分を見て首を傾げてくれた相手に、サンダー龍子は軽く吹き出しながらの苦笑いを返した。
「ははっ。 驚かせるつもりだったけど、アテが外れたね。
その落ち着き、さすがは WRERAのエース様ってとこか」 *3c
「いや、こいつのは落ち着きとゆーより、お馬鹿……」
「しゃらっぷ、恵理っ。
……で、龍子さんは、はるばるこんなトコまで何しに来たのかな?
あたしのベルト狙いに来たなら受けて立つわよ。 返り討ちにしてあげるけどね」
「NA王座か。 それも目当ての一つだけど、それだけじゃないんだよ。 実はね……」
そう切り出した龍子の話は、せっかく手に入れた AAC王座をスレイヤー社長と秘書の井上の意向で返上しなければならなくなった、というものだった。
龍子は、団体最高位のスレイヤー無差別級王者。
その王者が他のシングル王座を持ち続ければ、二つのベルトが同等のものと見られることになりかねない。
それは、“自団体の王座こそ世界最高”と位置付けたいスレイヤーの上層部にとって、到底看過できないことだったのだ。 *4c
「二年前のこと、覚えてるかい?
あんたの持つ NA王座への挑戦権を賭けた、私と市ヶ谷とのスレイヤー王座戦。
あれをやっちまったのも、社長たちは気に食わないらしくってさ。
それ以来、他のシングル王座への挑戦は暗に禁じられてたんだけど……」 *5c
「市ヶ谷があんたとの AAC王座戦を強引に組んで、壮絶に自爆しちゃったってわけね。
でも、それとウチに殴りこんできたのと、どんな関係があるのよ?」
「──私は、大いに不満なんだよ。 うちの社長と井上さんの方針にはね」
いきなり飛び出た龍子の自団体批判に、祐希子と来島は驚いた。
しかしそれだけでは、WRERAに殴りこむ理由、その答えにはなっていない。
そう思った二人の当惑が予想通りだったのか、龍子は口元を緩めてから、用意していたであろう言葉の続きを紡ぎだした。
「だから、AACベルトの返上に条件を付けたんだ。 どうせすぐ返上するなら、他の──いや、全部の世界王座を私に奪らせろ、ってね」 *6c
へえ、と感心の声を上げたのは祐希子だったが、来島の反応は全くの正反対だった。
憤りを隠そうともしない声で、龍子に最後の質問をぶつける。
「それじゃ、何か? ウチに来たのは、俺の TWWAのベルトを奪おうってことかよ!」
「察しがいいね。
だけど、それだけじゃないよ。 WRERAには、あと二つあるだろ?
一つは、ダークスターカオスが持つ、WWCAのベルト。 もう一つは──」
「──私が持つ IWWFのベルト、ですね」
落ち着き払った第四の声の登場に、その場にいた三人全員が振り返った。
桜井千里──現・IWWF世界ヘビー級王者。
「勝負を挑むというなら、受けて立ちます。 ただ、二年前と同じなどとは思わないでください」 *7c
「そうだぜ! 俺たちの世界王座をコケにしやがって……。
てめぇをブッ倒して、返す刀で、その大切なスレイヤー王座も奪ってやるから、覚悟しな!」
「いいだろう。 もし私が負けたら、そいつとのスレイヤー王座戦だ。 約束してやるよ」
WRERAが誇る世界チャンピオン二人の強烈な視線を浴びつつ、龍子は全く動ぜずに言い放った。
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